2007/10/24(水)午後授業自主休講

はてブ数 2007/10/24 13:09 のんびり日記::ココロノウチガワつーさ

 自分の思考回路がどう考えてもおかしいので午後は大学を休みにした。帰って寝ようかと眠る気にもなれないので、洗いざらい書いてみる。鬱もネタバレもいっぱい入ってるから、下の方に書いた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 数日前から、人生は[生,死]の範囲で微分可能」という命題の真偽について考えていた。微分可能の条件は"なめらかにつながっている"こと。でも、最近の自分を振り返ってみて、すべての点で微分可能なわけではない気がしてきている。abs()関数のように、あるときあるスイッチを踏んだだけで、あっさりと90度方向を変えることもあるのかもしれない。
 物理の時間に授業を受けることに耐えられなくなり、伏して少し眠った。沙耶の夢を見てしまった。唄を聞いてしまったからなのか。その後、食堂で、飯を食いながら、自分が食べてるものがなんだかわからなくなったり、空が変な色をしていたり。帰宅。自分が今口にしている肉はいったい何の肉かもしれないのだ? 何かではなく誰かの肉を、それとは知らずに。……そんなことを考えること自体がおかしい、ナンセンスだ。
 けれど、その後もぼんやりと自分が今講義を受けていた建物や空を眺めながら、自分が見ている世界も郁紀が見ていた世界とそうも変わらないのかと思った。人間が人間に見えなくなるようなことはない。が、自分自身がその場にいること自体を嫌悪し、何にすがることもできずに、ただ自分の精神が狂っていくのを感じる様というのは、近いものがあるのかもしれない、と。所詮、フィクションはフィクションだ。フィクションだけど、自分にも沙耶がいてくれたらいいのに、と願わずにはいられない。とても苦しい。
 窮屈だ。年金の免除申請をして借金までして学費と生活費を得て、毎日授業やレポートに押しつぶされそうになりながら、自分が今通ってる大学っていったい何なのだろう。前期はまだ新鮮さが生活に張り合いを持たせていてくれた気がするけれど。それの反動であるかのように最近の自分は財布のひもが緩いな。
帰る場所は海くらいしかない。たとえばここでの生活に疲れても、自分の田舎に帰れる気がしない。夏コミのときに少し帰省したのだけれど、自分の居場所はもうそこにはないことを知った。たまに掛かってくる母からの電話も、何か話しかければ「こっちもね、」と。あっちはあっちで大変なのだと思う。口を紡ぐ。だとすりゃもう帰る場所は海くらいしかないかな。
 心から楽しいと思うことが、本当に、全く、何も、ない。プログラムや曲は書く気にすらなれず、ゲームしてたってただ他のやらなきゃいけないことから逃げる目的だけ。そりゃ、遊んでる間は楽しくないことはないけれど、それ自体が楽しいからどうしても遊びたいなんていう年齢はとうに過ぎてしまったのだと思う。子供のように遊んでいたいけれど、子供のように遊びたいわけではないのだ。こだわりも消えた。
くるくると考えてばかりいる。しっかりしなくちゃなんて思ってみてもまるで効果がない。まぁ、今日も友達に「生活が悪い」とばっさり切り捨てられたが。ただ消化されていく日々の中で苦しさを感じ続けて、生きようとも好転させようとも思わない人間の心理なんて、やはり理解されないものだと思う。まぁ、理解したくもないとまた切り捨てられるのがオチだろう。
 今まで自分が関わった彼らは、みんな自分が常識だと思っていて、彼らの常識観念から逸脱したことをやっていると、相手がまるで人間ではないかのように態度がきついというか嫌みたっぷりというか、とにかく容赦がない。まぁ、自分、こんなことしてりゃ人間じゃないかもしれないけど。……そう。ネガティブな言葉ばかりを垂れ流している自分は、これを期に人と連むのもやめたらいいのかもしれないとも思う。自分の存在は自分を取り巻く人間にとって毒以外の何物でもない。
 ああ、沙耶がいてくれたら。